谷多気功の日々雑感

張式気功(高級気功師)が、日々思ったことを書き連ねるブログ

不安は捨てよう

不安は病気の原因のひとつ

人生の中で最も不要な物の一つが「不安」です。これは、何かを成し遂げようとする際に必ずや足を引っ張ってくる存在です。

またそればかりではなく、病気の原因にすらなってしまう、大変厄介な物でもあります。

不安感に苛まれている時というのは、人間の身体は上手く機能しませんし、神経や筋肉に不必要な緊張を引き起こさせます。

つまりアンバランスな状態の肉体になっているという事です。

基礎工事が手抜きの建築物というのは、あるべき所に重心が無い、正中を外した辺りに重心が位置しており、結果的に歪みや亀裂が生じ、いずれ崩壊してしまうでしょう。

人間も同じように1Gの重力から逃れる事は出来ないので、もし不自然な所に中心点が集まってしまっているのならば、建築物と同じような状態を引き起こしてしまう事になります。

ただ人間は建物と違い、無意識にバランスを取ろうと筋肉が働きますから、崩壊する代わりに、あるべき所から移動してしまった中心点にコリや痛みが発生してしまうのです。

不安と恐怖の違い

「不安」と「恐怖」は違います。

「不安」は実際起こりもしない事に対して抱く感情です。つまり未来に対応する感情で、話はそれますが、もし過去であれば「後悔」になるのでしょうか。

続いて「恐怖」は今まさに起きている危機に対しての感情です。こちらは必要でしょう。暴漢に襲われた時にボケ〜っとしていたら自分の命が危なくなりますからね。本能は大切にしなければなりません。

そもそも、この不安というのは本能ではなく、どちらかと言えば他者から植え付けられる後天的なものです。(子供が、将来の年金が不安だ!などと思うはずがないように)

思い出してみてください。誰もが親、教師、メディア、様々な所から不安を煽られているのではないでしょうか?

「このままでは将来絶対に失敗する」「この数値だと病気になる」など、色々聞かされた経験はありませんか?

この世に預言者はいるのでしょうか?もし預言者がいるとするのならば、全ての事柄は思い通り、万事上手くいっているはずです。しかしながら、決してその様な事はありません。

例えば中学時代にパッとしなかった人が、成人式で再会したら見違えるほど立派になっていたというのはよくある話です。

また、お酒を飲まれる方はお分かりになると思いますが、強い弱いというのは人それぞれです。これといった基準値は存在していません。にも関わらず、この数値だと病気になるという根拠は一体どこにあるのでしょう。

一定の基準値は他者から

上記の事から考えると、不安というのは、何か「一定の基準値」というものが存在しており、そこから外れた所に自分がいる事によって発生するという仕組みになっているはずです。

しかしながら、その「一定の基準値」というのは何物なのでしょう?

そもそも基準値は誰が作ったのか?自分でしょうか?

そう、違うのです。他者なのです。これが要らない感情である「不安」の原因です。

将来起こりもしない事に対して抱く感情である「不安」、病気の原因にすらなる「不安」、まだまだ書くことがありますので、次の記事以降、また少し掘り下げて行こうと思います。

ただ、現時点で間違いなく言えるのは、不安は百害あって一利なし、という事です。

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