不安の消し方
不安は他者の基準値からくる
先日不安は他者から与えられるものだと書きました。
qi-gong.hatenablog.comさらに、不安の原因というのは他者から与えられる「一定の基準値」から生まれるという事も述べたと思います。
そもそも他者から与えられた基準値というのはコロコロ変わるものです。
例えばメタボ基準や高血圧基準など、節操もなく変化していますが、その基準値から1でもオーバーしていたら異常で、1でも範囲内であったら正常、果たしてそんな事があるのでしょうか?
「昨日まで正常だったのに今日から基準値が変わったから異常ということで、投薬治療開始した」これはどう考えてもおかしいと思います。
また一定の基準値といのは、世の中の風潮にも存在しており、好きな芸能人顔、ファッションブーム、喫煙から禁煙への流れ、金銭などの価値観など、挙げればキリがありませんが、考えてみるとそれら全て他者からの与えられた評価基準であって、自分から生み出したものはほとんど無いと言えるでしょう。
もし生まれ持っていた自己の基準値があったとしても、外部からの膨大な情報の波によって、全てがかき消されている状態かもしれません。
つまり、他者からの基準値に依存している限り、不安は消えること無く、逆に言えば増え続けてしまうという事になってしまいます。
これは非常に困った問題です。
不安を消すには
では、厄介な不安を消すにはどうすれば良いかです。
釈迦は「自灯明」(禅語)という概念で、弟子に説いていました。
自、ですから、結局のところ自分を拠り所にする、つまり基準値を他者に求めないという事になります。いわゆる「正しい自己責任」になるでしょう。
全て自分で考え、自分の基準によって決めなければいけないということです。
とはいっても決して間違っていけないのは、全ての事を自分本位に決めるということではありません。自分の快楽のために、相手を犠牲にするというのでは本末転倒です。
そこで車の両輪としてもう片方にあるのが「方灯明」(禅語)です。
自然現象、時間の流れ、物体の変化、人間関係、それらには変えがたい普遍的な法則があります。
その法則と自分は生きている限り付き合っていかなければなりませんが、逃れられない縛りの中で自分を拠り所に生きていく、これが太古の昔に既に発見されていた哲学であり、不安を消す方法になるでしょう。
「他者から与えられた基準」なのか、それとも「方灯明」なのか、情報氾濫社会の中で真実をを見抜いていく力が求められます。
依存心を無くす
もっと簡単に言ってしまえば、依存心を無くす、という事です。
相手に期待して何かをした、「見返りをくれるかな〜」「もしかして何もくれないのかな〜」など悶々と考えるのが不安の始まりです。
相手に何かをしたけど、それはもう自分とは関係ない!となれば、そこに無駄な思考は生まれません。
テレビで勧めてくれた事をやった結果上手くいったらテレビのおかげ、失敗したらテレビのせい。
自分で考えて上手くいかなかったら「教訓」、上手くいったら「財産」。
この通り、依存心を捨てるだけで、不安は無くなるばかりか自信までもが生まれます。
病気の原因にもなる不安を消すためにも、依存心という不要な物を少しづつ手放していきたいものですね。