気功と音楽は似ている
音楽は情報的価値
現代社会では、物理的なものよりも、情報的なものに高い価値がつけられる傾向にあります。
物理的なものが手に入らないという状況は今では滅多にないですし、100均で何事も事足りてしまう時代です。非常に便利ではありますが、逆にそれで満足する人も少ないでしょう。
昭和以前とは違います。今人々がお金を払う対象は間違いなく情報です。
分かりやすい例で言えば音楽。
何でも良いのですが、例えばピアノの名曲幻想即興曲をコンピューター音源で聴く場合、音大生の演奏、プロの演奏家、そのどれもが物理的に同じ音を聞いているという共通点がありますが、そこに払う対価は全く異なります。
厳密に言うと倍音構成などは違うでしょうが、それを差し引いた上で同じ楽譜を奏でているのにも関わらず価格が異なるのは、音楽に「情報価値」の差があるという証明ではないでしょうか。
さらに言うならば、同じプロの演奏家が同じ曲を演奏するコンサートであっても情報価値に差が出る。
もちろんテクニックの差もあるのでしょうが、やはり演奏家の価値観、たどってきた人生、人柄等がそっくりそのまま曲に乗せられいているのであって、聴衆は音ではなく、音の背景にお金を払っているという事です。
物理的価値は現代では不要?
料理も同じです。
味の善し悪しというのは、今では化学調味料等で大抵ごまかすことが出来てしまいますし、もし差をつけるのならば店の雰囲気、盛り付けの色彩感、店員の接客などの要素を用いるべきでしょう。
店内に流れるBGMに工夫をこらすのも良いかもしれません。
そして、もし料理の味がまずかったとしても、アイドルグループの誰かが作ったものを食べられるレストランがあるとしたならば、ファンは間違いなく大金を払うはずです。
そうなると、むしろ物理的価値なんてものはどうでも良く、情報的価値だけを徹底的に追い求めているのが現代人だと言っても過言ではないと思います。
日本で食糧危機が起きるということはまず考えられません。つまり情報的価値が今後ますます重要視されるという傾向は強まってくるでしょう。
そこで気功の出番です。
気功は相手に手を触れることもありませんし、何なら距離も関係ありません。
重要なのは「情報」一点のみです。
外気療術=演奏
情報を共有する手段は、文字媒体、音声、視覚など色々ありますが、それらがダイレクトに脳内へ届くという事は滅多にありません。
本をたった一度だけ読んでも、何となく分かった感じがしているだけで数日後にはほとんど忘れてしまうものですし、情報を脳内へ確実に埋め込むには、やはりそれなりの技術や手段が必要です。
音楽には「感動」というものがありますが、優れた演奏家(テクニックではなく、高い情報的価値を持ち合わせていて、その伝達手段が上手)であれば、記憶に確実に残ります。
演奏会の様子を思い出しただけで、会場の雰囲気、匂い、そして気持ちの高揚までもがフラッシュバックするようであれば、卓越した情報伝達能力の演奏家によるパフォーマンスだったということでしょう。
施術中の感覚は、個人的な感覚ですが、まさに演奏表現そのもの。
徹底的なリラックスと徹底的な集中、そしてクライアントとラポールを構成した上で必要な情報を流し込むという流れは、まさに「演奏」といっても差し支えないでしょう。
したがって良い施術というのは、良い演奏と同じく確実にクライアントの脳内に情報が組み込まれているはずです。
なるほど、自分で書いていて妙に納得してしまいました。
外気療術と演奏は、ほぼイコールの情報伝達手段かもしれませんね。
「日々雑感」なので、読者の方のお役に立っているかは分かりませんが、今後とも当ブログをよろしくお願い致します。